神宮皇后 説
紙幣の肖像にもなった神功皇后。肖像とはいえ ご尊顔は誰も知らないでしょうが…
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新羅を攻めた女性と言えば
神功皇后こと
気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)。
”日本書紀”によれば、神功元年から神功69年まで政事を執り行なった。
戦前までは15代天皇に数えられ、日本の最初の女性肖像紙幣が作られ切手にも使用されている。
三韓征伐も彼女の神託によるものであり、凱旋途中でも多くの神々が神託を与えるなど
巫女的な属性も十分に持ち合わせています。
朝鮮がらみの問題からか戦後は歴代天皇から外され 実在性すら否定する学者もいますが
”
新唐書・
宋史”等で
仲哀天皇の後
神功天皇・
息長足姫天皇の記述がある。
ならば 左翼学者が何を言おうが 同じ中国の書に描かれる
卑弥呼の候補とするには十分でしょう。
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Google Earth
神功皇后稜とされるのは、奈良市山陵町宮ノ谷にある前方後円墳の
五社神古墳(ごさしこふん)。
宮内庁により
狹城楯列池上陵(さきたたなみいけのえのみささぎ)として
神功皇后稜に治定されている。
佐紀盾列古墳群を構成する他の天皇稜に治定された古墳の中で最大。皇后の扱いではない。
神功皇后稜 拝所
左が丸型右が方形の接続部分ですが、巨大すぎの上これ以上引けないので解りずらい…
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実際に 江戸時代までは
卑弥呼=
神功皇后と考えられていましたし
現在でも有力候補の一人に間違いはありません。
しがし、実在を裏付ける中国の書物があるだけに、彼女の活躍した年号も ほぼ正確に算出できます。
神功皇后の死去した神功69年は 西暦269年。
卑弥呼の死去は
西暦247〜248年ですから 20年ちょとズレます。
(年代に考古学的確証は無いですが、死去年の差20年については記録上は ほぼ正しいかと)
実際、
神功皇后の活躍の凄さと統治期間の長さから 実在を疑うのも理解できるのです。
単純に西暦に直すと 皇后は享年 99歳となりますが
古代日本では冬至と夏至にそれぞれ年が変わった時期があるとの説もあり、
そもそもの日本書紀の年代記述がリアルタイムではないので混乱もあるでしょう。
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神功皇后稜の南に隣接する山稜八幡神社 勿論 神功皇后は主祭神の一柱
以下 続く