倭迹迹日百襲媛命 説
奈良県桜井市のキャラクター ヒミコちゃんwwwwwwwwww
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次の候補は
倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)。
古事記では、
夜麻登登母母曾毘賣命(やまととももそびめのみこと)以下
百襲姫とします。
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百襲姫を卑弥呼と推定する理由も多くあります。
彼女は 第7代
孝霊天皇の皇女で、
大物主神(三輪山の神)との神婚譚で有名な巫女的な女性。
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一つに
崇神天皇に神意を伝える巫女で
”
魏志倭人伝”の「倭の女王に男弟有り、佐(助)けて国を治む」に当てはまる。
天皇と 皇女とは言え巫女では主従が逆のようですが、
百襲姫の権力 単なる巫女ではない証拠に
百襲姫の墓
箸墓古墳は
崇神天皇陵より隔絶して巨大。
年代も
百襲姫の生没年は不明ながら
崇神天皇崩御は258年。
卑弥呼の没年248年と比べ
百襲姫の活躍時期は
卑弥呼のそれとほぼ重なります。
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Google Earth
倭迹迹日百襲姫命の墓は 奈良県桜井市箸中にある箸墓古墳(はしはかこふん、箸中山古墳)
宮内庁により「大市墓(おおいちのはか)」として
第7代
孝霊天皇皇女の
倭迹迹日百襲姫命の墓に治定されている。
纒向古墳群(まきむくこふんぐん)の中で群を抜いて大きく、定型化した最初の前方後円墳。
皇后どころか 単なる皇女の墓の規模ではない。
大市墓 拝所
後円部分、バイクの上あたりが 前の方形との接続部。
周りを走っただけで きれいな前方後円墳だと想像できる。
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次に中国の史書に「倭国で内乱があって、その後で一人の女子を立てて王とした」とあり
また「
卑弥呼が死に、墓が作られた。男の王が立つが、国が混乱し互いに誅殺しあい千人余が死んだ」と
卑弥呼の活躍の前後に内乱、国の混乱があったと記されています。
これを
百襲姫に当て嵌めますと 彼女の父親
孝霊天皇の時代に吉備を攻め平定した記述が出てきます。
日本書紀で欠史八代とされる天皇の中で唯一、
孝霊天皇だけ行跡の記述があり、それが吉備平定の話。
重大事件であった事がわかります。
百襲姫の没後には
崇神天皇が、四道将軍に畿外の各地方の敵を平定させる命を出す記述が
日本書記に見られ、彼女の死が地方の反対勢力が決起するきっかけとなったと読めます。
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もう 完全に
百襲姫を
卑弥呼と治定させていただきます。
異論は・・・・・・・認め・・ま・す。
箸墓古墳から直ぐの看板。
明らかに箸墓古墳を意識しているのに表記は無い。何よりこのページ上にある市のキャラクター
”ヒミコちゃん”を制定しているにも係わらず 別のキャラを平気で使う無神経さ。
桜井市は、日本最古の神社の大神神社を始め、纏向古墳群、長谷寺、多武峰から登美神社の宇宙人まで
日本国内はおろか 世界中から観光客を呼べるリソースを持ちながら
全く生かせていない無能な行政が素敵。
まあ おかげで それほど混まなくて助かっていますが
町中の風景をぶち壊す 桜井ライオンズクラブは 心底 嫌い。