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奈良県桜井市の宗像神社 鳥居と社標 ”式内大社”の表記がある

宗像神は古事記(712年)で筑前宗像大社の祭神として語られているのですから、
712年には 中央でも重要な神としての地位は築いています。
では イチキシマヒメ宗像神)が大和で祀られ始めたのは何時頃なのでしょう。
探すのは大和朝廷発生の地、奈良県南部の神社。
市寸島比売神社、市杵嶋姫神社、厳島神社は小さな社が数えきれないほどありますが
これらは弁財天信仰で勧請した比較的新しいものなのでパスし”宗像”を探す。

すると、桜井市にズバリ 宗像神社が神奈備山 鳥見山の麓に鎮座します。
訪れてみますと小さな神社ですが 社標に”式内大社”の文字が見えます。
延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)に有る以上 927年には鎮座、
大社とあるからには相当大きな社であったと想像できます。

本社の由緒を調べてみますと 天武天皇の第一皇子高市皇子(たけちのみこ)の母、胸形尼子娘
筑前、宗像氏の出で 故郷の神を分霊・分祀したものとの説があるようです。
高市皇子654年生まれですからそれ以前となります。

本社とは由緒とは別ですが
日本書記の 雄略天皇9年2月に 宗像神の采女を犯す強姦事件の記述があります。
犯人、凡河内香賜は逃走しますが摂津国三嶋郡で捕らえられます。
摂津国は大阪市ですので、この事件は筑前(福岡)の宗像大社の事件ではなく
畿内の事件と捉える事の方が自然です。
犯人は追手の来る大和に向かって逃げるのは不自然。大和から遠ざかる途中で捕まったはず。
推論、西暦465年には畿内で大和朝廷の国家事業として宗像神の祭祀が行われた。




桜井市の宗像神社  本殿

三殿並んでいますが、三女神、其々の社では無い。
中世以降、南朝方に与して衰退し宗像神社としては消滅、
明治に復活するまで 春日社だったようで、左右は春日神とその若宮が祭られているようです。

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